メモや、近況、こころの裡など
多分わたしは「みんな」との齟齬が発生することに疲れている。
ここでいう「みんな」とは、ある程度の規模のまとまりを成すマジョリティの感覚。(あくまでも多数派であると錯覚をさせるに足る規模であって、おおよそ30%を超えれば成立する)
対比をマイノリティとしてキャストオンする作用。
そこに断絶が存在することも知っているし、必ずしもマジョリティ側に悪意などがあるわけではないのも知っている。ただ単に「異物」として排斥されるだけの現象。
ただしわたしはそのこと(マイノリティを理由にした排斥の正当性の主張)にまったく納得していないし反論がある。そして同時にその反論はなかなか通じない(というよりも受け付けられない)のも経験上知っている。そういう関係や場に居ることにも疲れているんだと思う。
話が通じる間柄とばかり付き合うと思考が固定化するとかいうけど、何も聞く気がない相手を捕まえて話を振ったところで鬱陶しいだけでしょう。
ドアマットは必要だ。そこに立ち、ドアベルを鳴らす準備ができたものだけが歓迎されるんだ。創作物はサービスカウンターではなく、誰かの自宅(もしくはアトリエ)なのだと思う。
距離を置くべきものと、しっかりと握りしめるものを、自分のなかで明確にする作業が要る。今まで踏み越えてくるものを拒まず許していた領域に、柵と立て札を設置する作業。
わたしが疲労を感じるのは、この作業を完了していなかったせいなのかもしれない。今後もどこの手入れをすべきか、手探りで進めていく。
改装進まず…というのも、公開範囲や内容に迷いがあってのこと。
思ってたよりも深刻な、壁があって…考えあぐねてる。
そろそろ暖簾をちゃんと作るべきなのかもな〜
と思うと同時に、もっと厳重なパスをかけてもいいのかもと思ったりもする…(それで一時非公開のはずが長引いている)
悲しいのは、転載とか無断使用とかから守られる事以上に、創作をしてる側からの異物判定から逃れたいという思いが強いってとこだ
「〇〇が出てくる作品は読みたくない」という言葉が放たれた場面に居合わせたこと、なんだかずっと刺さっている。
もちろん好みはそれぞれだと思うけど、そこで挙げられたのが一般的なネガティブなテーマじゃなかったのがより引っかかって、ずっと波紋になってる。(なんでも〇〇で結ぶな、という主張は理解できるけども)
その場面では、明確に〇〇を槍玉に挙げてるなぁという印象が強くて、それはそれで個人の主張で完結してればそういう人なんだなって理解で終わる話だった。でもそこで「〇〇なしの作品だけ(今ここに)投稿して」という流れになって続々タイムラインにそれらが集まってて、なんだか異様だなと思ってしまった。「(〇〇作品を)そんなに悪様に言わなくてもいいと思う」という投稿もあって私はそれに賛成したんだけれど(スタンプで)。場の空気は完全に《そういう》状態になってた。そういうことが、容易に起きる場所(機能?)があるんだなと実感した。
発言は、あたかも発言されたもののみが存在しているかのように見える。
反論が個人の中に生まれていても、発言されない限り顕在化はしない。
あの場にいた何人が賛同者で何人が異論を持ってたかは正確にはわからないけれど(そしてその行動の意図も様々だろうけど)、一瞬のうちに目に見えない形の私刑のような光景が発生しうるという事。しかもそれを意図したわけではなくても、逆説的に「〇〇を主題に描いている作者」に対して排他的な言動をとりまとめてしまった事。そんなことが容易に出来上がるんだな、と知った。
そしてこれは、一般的にネガティブなテーマであるとか、そんな事とは無関係に、発生するという事なんだ。
個人の主張が集まった時に、できあがる。綿密な計画もなく、排他の意図もなく。推敲もなく、もっといえば何が起きるか予想も考えることもなく。
それ以前にあった某ジャンル排他ムーブも踏まえて、自分のイメージしていた創作活動との齟齬も実感したし、ちょうど時期が重なるように物故沙汰があり、そして忙しい時期に入り、整理がつかないまま、言葉をつむぐのも億劫になって、より優先度の高い作業をして過ごしていた。
〇〇と伏せたその主題で描いたものをうっかりその人々が見えるところに置いたら「読みたくないもの」として認識されるんだなぁと思って以来、そこに置く意味は薄れてしまった。
ついでに、改装の作業意欲にもそれが被さってしまって取れないでいる。
そして、私は、非公開の原稿を通して、自分の創作スタンスを捉え直してるんだと思う。
〇〇アンチ、という明確な発言に今更抗うつもりはないけど、自分の整理のために必要なことなんだよな。
くだんの発言者が、永久に考えを変えることがないとは誰にも言い切れないしね…。
相変わらず非公開の執筆を続けている。
娯楽やサービスとはかけ離れたものを描きながら、つねに、「これは彼ら(登場人物)のための物語であって、読者のためではない」と確信する。
手軽に快感を得ようとする消費者のために わたしが提供できるものはない。
たとえるならば瘡蓋を剥がすような、穴のあいた靴を捨てるような、そんな痛みを伴うのが人生だ。そこから目を逸らしたり、鎮痛剤を欲するもののために、甘いお菓子だけ並べていれば客はつくのかもしれないが。あいにくとそういった客層をあやす手腕は持ち合わせていない。
誰しもが無意識に眼前に突きつけてしまうもののうち、蛇や蠍を用いる私には、陽のあたる道はないのだとおもう。
いずれここも用をなさなくなるだろうし、この名前で動く機会も減る。たぶん。
先々月の記述のとおり、創作活動を休止してる。身の回りのことが落ち着くまで、休止になりそう。復帰時期は未定。数年かかるかもしれないし、復帰できない可能性もある。
現在は、完全非公開の執筆とハンドメイドに時間を費やしている。
また心境の変化があれば、そして作品の作り方が定まれば、どこかでこっそり公開することがあるかもしれないけれど……どうだろうな。今はまだなんとも言えない状況。
生きることに集中する。
創作を公開する動機のひとつだった『共感を得る』という項目が、欲求からきれいに消えてしまった。
「そんなものがあったのか」と自分で驚くと同時に、「共感によって得られる安心感」に多少なりとも依存してきたのだと自覚した。
「たとえニッチでも、少数派でも、仲間はいるはずだ」と思ってやってきた。
そして実際に手応えもあった。そうして拡大していくのだと思っていた。そのために言葉を正確に操り、説明し、理論立てて、整理していくのだと思っていた。
いまの心境は「ニッチだろうと少数派だろうと、仲間に出会えなかろうと、自分が好きなものをたいせつにするだけだ」という境地にある。
言葉のうえでの表現かもしれないが「共感を得る」ではなく「共感を寄せる」へ変わった感じがする。
支配者に対して「わたしには価値がある」と示す必要がなくなったからだと思う。
「あなたに分かるように価値を示してみせよう」という挙動が、もう不要になったから。
夏季は繊細な作業ができないため、創作を休止しています。
かわりに手芸三昧。
ブラウスを五着、ボトムを一着、カーテンをひとつ、インナーをひとつ。順調に布の在庫を消化している。
夏服は晒木綿が最高。
ボトムは綿麻などが涼しい。
過ごしやすい衣類を自分の手で作れるのは強みだ。
着替えがこわくなくなる。
ブラジャーを脱ぎ捨て、一枚で着られる服を作るようになって、夏のつらさが減った。
クーラーを使えない身の、差し迫ったがゆえの工夫。
今年の夏も暑いようだし、無事に生きて秋を迎えられるように。
生きるというのは、やはり容易くはない。
あれから二週間経つ。
生活は一見元のとおりにめぐっているが、私の裡に生じた海綿化は埋まることなくさみしく風が通りすぎていく。
悼むとは、その者を喪った世界を再構築しなおす準備なのだと思う。
かかわりの如何によらず世界は変わっていく。変化のなかに誰しもが生きており、しかしそれを実感として捉える機会はそう多くはない。
安定を求めるのは、不安定だからだ。
愛を求めるのは、孤独だからだ。
自身の裡に溜まっていく「諦め」と、「蓄積する事実」を吐き出す事も必要なのかもしれないと思う。
それらしい事をそれらしく書いて、「まったくそのようだ」と頷かせるための技術というものがたしかにあり、それを行使していくことで文章の中に読者を飲み込んでしまう。
説明的であることや、他者にひらかれた言葉には、そういった機能が与えられうる。
「日記とは自己を捉えて、保つために書くのだ」と父が言っていた。
個人的な言葉が、個人的な範囲を超えることを、もっとおそれてもいいのかもしれない。
相変わらず、茫然としたまま、わたしはわたしを探している。
そこにあってなお、そこにあることを見失っていたわたしを、今更ながら拾いあげてながめている。
“人格の輪郭線は自身が決めるものではない。”
それはつまり、かかわりを持った人間によって「わたしはどのように定義され、どのように見なされていたか」を反映しているのだとおもう。
影響の度合いは、単純な年月の古さと、かかわりの深さ、そして頻度と、さらに重要度によって重ねがけされていく。
わたしはどんな存在だったろうか。
わたしは、彼らにとって、どんな存在なのだろうか。
もう二度と瞼を開けることも、もう二度と口を開くこともない相手を思うとき、わたしはわたしという不明確なかたまりを抱えたまま生きていくのだと思い知らされる。
どこかでまた誰かと出会い、どこかでまた誰かがわたしを見つけ、どこかでまたわたしは「わたし」になっていくのだろう。
輪郭線は、ゆらぎ続けている。
ゆらぎのなかに、つねにわたしはいたのだし、これからもそうなのだろう。
不定形の卵殻の内容物のようなものだったのだ。今までも、ずっと。
形をもったものになれた、ような気がしていただけだった。
こんなにもたやすく、溶けてしまうとは予測していなかった。
魔法がとけたように、茫然としている。
先日実生活である出来事があり、それを受けて心境の大きな変化が起きました。
私は元々、創作を実生活へ還元するものとして位置付けていて、生活と切り離した欲求とは思っていなかった。
創作でシミュレーションし、生活に還元する。
創作で理想形を思い描き、生活をそこに向けて近づけていく。
そういう使い方をしてきた。
それが必要だった。
実生活によって、何かを諦めてしまわないために、思考を持ち直すために、必要だった。
諦めることをやめる時、創作の位置付けも意味も変化するのは当然なのかもしれないけれど、この変化を予測していなかったのでかなり動揺している。
つい最近まで、創作は思考の雛形だった。
それが今は「隣人の記憶」になっている。
隣人はいつも隣で生活をしている。
隣人は私ではない。
私は、彼らではない。
私は、彼らの隣人で、彼らは私の隣人だ。
その境界線が、あらたに引かれた。
私に、私が、返還されたのだと思う。
雲が晴れるように、あるいは月が地平線に沈むように、私の頭上に君臨していた一つの大きな眼が永遠にその瞼を下ろしたのだ。
私は自由になり、そして孤独になった。
私を知るものが、ひとりこの世を去ったから。
人格の輪郭線は、自身が決めるものではないのだ、と実感している。